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2015年8月

2015年8月24日 (月)

海のない街~第七話~

強い雨が屋根を叩く。

夕立だった。
ちょうど出かけた帰り道だった僕は「あおい」に飛び込んで難を逃れた。

「モエちゃん、タオルをお出ししてあげてください」
「はいな」

すっかり濡れてしまった頭とTシャツの肩が冷たい。
モエちゃんの渡してくれたタオルでわしゃわしゃと頭を拭く。
僕は昔からこういう日常の動作ががさつだ。
ちゃんと教えられたのだろうがどうも上品ではない。

「ビールとお通しです」
海さんは素早く揃えてくれていた。

今日のお通しはシンプルにきゅうりのお新香だ。
パリパリとしながらも柔らかみもあるちょうどよい漬かり具合で
日本酒が飲みたくなる味だったがさすがに
連日の猛暑で体がバテてきている。
最初だけはビールでのどを潤すしかない。

「あおい」の猫3匹は雨の湿気なのか
ぐでっと横になっている。
遊び好きな辰蔵も軽く腹を上下させて寝息を立てている。
その上下こそが生きている証とはなんとも頼りが無い。

人間朝目覚めないままそのまま死ねたらどれだけ安らかなのだろうか。
朝カーテンを開けておひさまを拝むということは
それだけ今日も生きねばならないということだ。
産まれることですらどういう意味なのかわからないのに、
苦痛を感じる毎日を送っている人間には
喜ばしく清々しいはずの朝日ですら地獄の始まりの合図だ。

「このきゅうり、池田さんが届けてくれたんですよ」
「ああ、そうでしたか。そういえばあの恵美ちゃんとはどうなったんですか?」
「もう一緒に住んでいますよ。お仕事の時は東京まで通ってるそうです。
逆に農業をやるアイドルってことで仕事が増えたとか」
「へえ。そりゃいいことです」
「でも池田さんは尻に敷かれっぱなしです、うふふ」

「あの見た目だからね」
僕がビールをグラスへ手酌で注ごうとすると
珍しくお酌してくれた。

「ギャップ萌えってやつでしょうか」

まだ雨音は強い。
夕立にしてはなかなかに居座っている。

「これではお客さんも来ませんね」
僕が言うと
「こんな時は昔のことを考えてしまうのですよ」
「ほう、たとえばどんな?」
「まだ昔・・・なんて言えるほど経験を重ねてはいませんが、
私がこのお店をおじいちゃん、おばあちゃんから継ぐ前の仕事では
職業柄、たくさんの子供と接することがありました。極端に言えば障害を持った子も」

海さんはきゅうりを2本取り出した。

まっすぐで色もはっきりとしてとても綺麗なきゅうり。
かたや丸まって色も浅黒くとても市場には出回らないきゅうり。

「これは?」僕はたずねた。
「まっすぐなのは池田さんのきゅうりです。曲がったのは近所のおばあちゃんにもらった
家庭菜園のきゅうりです。どう思いますか?」

「うん、曲がって見た目が悪いけど、その方が自然なんでしょ?
だったらこっちかな」
曲がったきゅうりを指さした。

「なるほど。ではまっすぐなきゅうりはダメなのですね?市場にははるかにこちらのほうが出回りますよ?」
「あ、でもやっぱり昔ながらの味しないんじゃない?」
「ブランドで有名な地方のもまっすぐです。それに昔のきゅうりは青臭かったのですよ。
品種改良で今のようにみずみずしく香りも良いものに生まれ変わったんです」
「それは・・・・」

「まっすぐなきゅうりは農家の方がしっかりと管理した証だと私は考えます。
曲がったきゅうりは自然に近いのでしょうけど」

「しかし」

「まっすぐな子も曲がった子もみんな同じきゅうりです」

「・・・・」

「私の前職では軽い、重いはありましたが障害のある子に自然に接することは
本当に難しかったのです。
医療器具がなければ呼吸を続けられない子、発達障害で
違和感がいつしか生きづらさとなりそのまま引きこもりになってしまう子
それらが区別されていた時代から区別されない時代になりました。」

僕は黙って聞いているしかない。
こんなに饒舌な海さんを見るのは初めてだ。

「曲がっているから自然?障害は個性?とんでもありません。
障害があるけど頑張っているんですよ、特別な才能があるんですよ、なんてレアケースです。
みんなはそのまま社会に埋没してしまう子ばかりです。」

「じゃあ手をかけなかったから曲がったのかと言えばそうでもありません。
だって産まれて来るかなんて運です」

「だから曲がった、曲がってないで味が自然だどうのなんて、
そんなどっかのグルメ漫画みたいなことは言いません。
しかしやはり曲がっていないきゅうりはどうしても調理も難しい。」

海さんはうつむいて少し泣きそうになっている

「だから曲がったきゅうりはそれにあった料理や私やモエちゃんのまかないへ使います。
少しの気遣いがあればそれは紛れもないきゅうりです。食べられます」

「しかし、私は自分がいま言ったような事を本当に実行できたのか?
不快な思いをさせていないか?慢心があったのではないかと、今でも思い出し
夜飛び起きてしまうこともあるんです」

ビールは開いた。
しかしモエちゃんも休憩室に引っこんでしまった。

海さんはそっと新しいビールの栓を抜きながら

「私は間違ってばかりです」

とつぶやいた。

何も言えない。
言えるわけがない。

「・・・・なーんて考えているうちに雨が上がります。さあ、そろそろ他のお客様も来るでしょう。
今日はマグロがありますよ」

いつの間にか3匹ものそのそとあくびをしながら起きてきていた。
モエちゃんも休憩室から出てくる。

いつもの「あおい」開店―――


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2015年8月21日 (金)

誤字や脱字について

いつもこのブログのとんでもない文章を読んでいただき
ありがとうございます。

読んでいただいて気付いていると思いますが非常にこのブログは
誤字脱字が多いです

しかしあえて訂正せずそのまま掲載しております。
なぜかと言うと作者であるこの黒井は
発達障害であり、どうしても昔から文章の誤字脱字が多く
困ってきました。

このブログではそれを否定せずありのまま見せようと思っております。
指摘していただいても訂正はいたしません。

ただし内容でおかしな所は推敲してから掲載したり、
あとから内容を書き換えることもありますのでよろしくお願いいたします。

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思春期をこじらせるのはみんな同じ~第一話~

―はぁ、つまんねぇな

俺はいつも通り机で寝たふりをしていた。
そうだ俺はぼっち。

家に帰ったらずっとエロ動画見て自家発電してた。
それだけの人生だった。

中学3年の春に親が思いつきでいきなり田舎暮らしをすると
このA県の田舎の村に引っ越してきた。
悪くはない。
中学のみんなは気のいい奴だし、そのままみんな近くの同じ高校を受験するのが
お決まりらしいので俺もその流れに乗るつもりだ。

しかしサルのように毎日いたしておった俺には困ったことが一つあった。
まだ引っ越したばかりってのもあるのだがネット環境がない。
これじゃあはーんな動画が見れない。
1日5回を義務付けている俺にこれは厳しかった。
この村でできる精一杯のエロを探すしかないのだ。

学校でも通学路でもエロになるものを探した。
最初は日めくりカレンダーの「一粒万倍日」の文字だけでふっくらした。
しかしそんなもん最初だけだ。
人間はエロで進化する。
果てしなくエロを追い求め変態を突き詰めて人間は今まで進化したのだ。
今俺は進化の途中にいる。

エヴォリューション・・・・

人の深遠なる時の流れの中に俺の股間が脈打っているのだ。
ここで固くならずにいつ固くする!

俺は来る日も来る日も探した。
しかし見落としていたのだ。

それはある日の放課後。
掃除当番になった俺は同じ班のみんなと掃除をしていた。

しかし男子がエアギターごっこをして掃除をしない。
俺はぼっちだから一人で雑巾がけをしていた。
バケツで雑巾を絞り、ため息をつきながら床にべちゃっと雑巾を落として
クラウチング的なポーズになって前を向いた。エロンゲーテッドスタート!!!!

その時だ!

前を雑巾がけしていたクラスでも可愛いと噂される愛美の
白い!白いパンティが!
見える!
これが!これがラッキースケベというものか!

俺は全能力を眼球に集中させパンティを焼き付ける作業に移った。
ああ、あの布一枚で女子は花園を・・・・

他の男子は気付いていない!
俺だけの!
俺だけのパンティ!
この白!
ああ!この白を守りたいよ。

ううっ!
やばい!ふっくらしてきた!
―これじゃ立ち上がれない!
勃ちあがっているのに立ち上がれないなんて!
くそ!
それなのに神様はなんと残酷なことか、
まだパンティは見えたまま。
ついに握力テストの時の力み具合くらいになった。
完全に・・・・うご・・・けない・・・・!!!!!!!

ど、どうする!?
男子はエアギターでKissのShout It Out Loudを歌ってる。
これだ!エアギターで盛り上がってるところにモッシュダイブで乱入すればよいのだ!
よし!

このまま床を転がり男子のところまで転がり暴れる。
そのままふっくらが収まるまでサビを叫び続ければ俺はスケベ変態勃起野郎の烙印を押されない!

よし!

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!
これだ!
この回転!
このままいくぜ!
しかし少し床に先っぽが当たって痛い。
しかしこれに耐えねば変態になってしまう。愛美も

「バカ!私のパンツみてふっくらおっきしたんだ!死ね!死をもって償え!」
って言うに決まってる!
いっけぇぇぇぇぇえええええええええええええ!

ガラッ!

「こら!男子!何でKISSなんだ!私はBlack Sabbath派だと何度も言っているだろう!」

担任の入間川先生!

俺は先生のスカートの下で止まった。
ふっくらした。
俺の股間はレッドでホットでチリペッパーなんだぜ

そして親呼び出しを喰らった。


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海のない街~第六話~

今日は祭りだ。
僕はあまり祭りが好きではない。

なぜなら普段は日の目を見れないような人間も現実に生きる一般人と交わるからだ。
もちろん『非日常』と無関係な人間など一人もいやしないのだが。

人間は「自分とは無関係」と思いつつ知らず知らずに悪に加担していたりするものだ。
悪人は悪人で昔はそりゃ映画のような極道もいたのだろうが、
現代は少しでも金をむしりとろうとする人間ばかりだろう。
そうすれば一般人と関わらないほうが難しいものだ。
犯罪とはそういうものだと思う。
戸締りをしないで出かけられる長閑な日本はもう無い。

一応寄付金は納めたが、あまり人付き合いが苦手なので、
神輿を担いだりは遠慮させてもらっている。
その代わりに差し入れ等に気を使っているわけだが。

とりあえず祭りの打ち合わせに顔を出して
その帰り道に『あおい』へ顔を出した。

「いらっしゃいませ」
「はい!まいど」

二人の笑顔がいい。
「今日もビールでいいですか?」
「いや、今日はホッピーもらおうかな。酒場放浪期見てたら飲みたくなっちゃってね」
「はい、わかりました。モエちゃん、ホッピーひとつ」
「はーい」

よく見ると奥のテーブルにみのりがいた。
「やあ、みのりちゃん。チャーハン上手にできた?」
「あ、おぢさん!お母さん喜んでたよ」
「まだお兄さんなんだけどな・・・まあいいや。なんで今日もいるの?」
「美味しいから晩御飯はここで食べることにしたの」
「そっか」
この間、この子は両親の離婚でこの街にやってきたと言っていた。
母子家庭で家に帰っても一人きりなのだろう。

「はい今日は唐揚げですよー」
モエちゃんが揚げたての唐揚げをみのりの前に運んできた。
見るからにジューシーそうである。

「いいな。俺にも唐揚げください」
「もう作ってありますが一手間かけましょう、お待ちください」
海さんはさっと餡かけを作りかけまわしてたっぷりの白髪ネギを添えた。
「これならばお酒にも合うでしょう」
「いつもながら見事ですね」

バタン!扉が勢い良く開いた。
床で寝転がっていた猫達は驚いて飛び起きてしまった
「大変だ!」
「あら川辺さん、どうしましたか?」
「海ちゃん大変なんだよ!」
「神社の言い伝えの子供が出たっていうんだよ」
「まぁ・・・・ずいぶん古いお話ですこと」
二人に割って入った。
「ちょっと待った!神社の言い伝えって急に真後ろに来て驚かせる子供の話でしょ?」
「それそれ!池田んとこの奥さんが神社にお参りに行ったら本殿の後ろから子供がおいでおいでするか
見に行ったらさ・・・・後ろから声かけられて振り向くと、瞬間移動したようにその子供がいたってさ!」
「恵美さんが・・・・」

本当に古い話だ。
何百年も前から街にある小さな神社にある言い伝えである。
しかし伝承の類いである。
誰も本気にしている人間などこの街にはいなかった。

「やだよー私帰り道通るのにさー」
モエちゃんが震える。
「何言ってやがんだ、健太郎!」
「川辺のおじさん!本名で呼ばないで!」
「志村んとこの跡取りなのによー」
「関係ないじゃん!」
ぱんぱんと手を叩いて
「はいはい、二人ともやめてください」
海さんが止める。
「みのりちゃんはそれ食べ終わったら帰りましょうね」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕は思った。
あの小さくて古い神社の境内は子供の頃から何度も遊んだ。
そんな話はただの「オカルト」で深く考えたことも無かったのだが、
大人になった、今。
酒は入っていてもはっきりわかる。

「それは双子でしょう」
と、海さんが言うに違いないのだ。
我ながら鋭いなどと思った。

「それは双子でしょう」

ほらきた!

「実はこんな言い伝えがあります」
海さんは続ける

戦国の世、武田家が滅ぼされたときに
恵林寺に火を放つおりに、寺にかくまわれていた女が出てきた。

ある家臣の妻だという女は自分は自害するので
双子の子供を助けてくれと懇願した。

織田家の家臣は迷った。
少しでも未来へ禍根を残しては織田家の存亡に関わると。

「わかった。今生の別れをするがよい」
女は子供を抱き寄せ頭を撫でた。

そのとき刃は光った・・・・

戦国の世の習い。
しかしあの世で親子仲良くするがよい

と。

「その双子の鎮魂のために小さなお社が建てられたのがあの神社の始まりだそうです。
そろそろ夏、お盆になりますし、帰ってきたのかもしれませんね」

みな黙りこくってしまった。
モエちゃんは帰れないと泣き出し
川辺さんも真っ青な顔をしている。

「一度、氏子の皆さんで草刈りでもしてご祈祷するといいのかもしれませんね」

川辺さんが帰り、店も静まりかえった。
久栄と辰蔵が猫パンチでじゃれあっている。

平蔵がモエちゃんの肩に乗ってほっぺたをざらざらと舐めている。
モエちゃんは本気で怖いようだ。

「僕はてっきり双子だから気にすること無いというと思っていましたよ」
と告げると

「私はあまり霊とか信じませんけど、
そういう言い伝えがあるということは後世に先人が何かを残したかったということです。
ですから私は今回の双子騒動の真相はわかりませんが
逆に知る必要もないかと。」

海さんは振り返らずしょうゆ漬けにする枝豆を茹でながら言った。

「あの神社、すこしシロアリに食われているので氏子さんたちが
みれば修理するでしょう」

「え?じゃあ?」
「双子はそれを伝えたかったのかもしれませんね。日本人の歴史は鎮魂の歴史ですから」

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2015年8月13日 (木)

海のない街~第五話~

すっかり暑い。
30度を超える日が連日続くようになった。
もうすぐ夏休みになる。

「こんにちわ」
僕はドアを開けて少し明るめに挨拶をした。
居酒屋「あおい」の開店時間は4時だ。
まだ早いのはわかっているのだがどうしても喉が渇いてしまって
我慢ができなかった。

「対馬さん、まだ早いよー」
テーブルを拭きながらモエちゃんがぶーぶー言う。
平蔵と久栄と辰蔵はどたばた追いかけっこをしていた。

「早いのはわかってるんだけど、ちょっと飲ませてよ。お願い!」
拝み手をして強引に中に入る。

「対馬さん、おかまいはできませんけどどうぞ」
海さんはビールを素早く出してくれた。

さすがに仕込みは忙しそうだ。
てきぱきと動く海さんはいつも違う。
それでも流れるような動作だ。
ぴんと張り詰めた空気が漂う。

ビールをグラスに注ぎながら平蔵と久栄と辰蔵をねこじゃらしでかまう。
平蔵は実戦的な動かし方をしないと反応しない。
物陰から動かしたり人間も頭を使う。
久栄はあまり遊ばないのだがじゃれている他の2匹を追い掛け回すのが
好きなのだ。
辰蔵はもう振ったら振った方向へ走りまわりわかりやすい。

「遊んでもらってるのでこれどうぞ」
海さんは明太子を出してくれた。
「仕込み中なので焼いただけですけどね」

一口食べてみる。
外はカリカリで中はしっとりとレア。絶妙な火の通し方である。
いい塩加減でビールが進む。

また夏が来たのだなぁ。
人生死ぬ時期は人それぞれであるが、平均的な寿命でも
70回くらいしかこない。
しかもひとつとして同じ夏はないのだ。

子供の頃のプール帰りにアイスを食べたあの夏も、
好きな女の子と初めて手をつないだあの夏も、
まだふらふらとしているこの夏も
二度とはこない。

後悔しないように遊ぶのもいいのだろうが、どうしてもそんなに真っ直ぐになれない。
自分の無気力さは正しいのだろうか?
ちょっと調子に乗った人間が川の中州でBBQをやって流されたり、
海で溺れたり。
そんなんで終わる自業自得な人生と何もしないで寝転がっている人生とどちらが得か。

ビールの気泡が立ち上り消えてゆく。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「モエちゃん看板出してきてください」
「はいな」

いよいよ開店である。
やっと正式な客として飲める。
ビールをおかわりしてお通しを口にする。
今日はシンプルないぶりがっこだ。
秋田の名物料理だが燻製のいい香りでぱりぱりとした食感がたまらない。

「これは知人に送ってもらったんです。せっかくなのでお通しにしました。
私が作っていないので今日はサービスです」
焼き鳥への串打ちが終わってほっと一息ついた海さんが説明をしてくれる。

しかし・・・・

今日はみんなの出足が悪い。
いつもなら常連がぞろぞろとやってくるのに今日は誰もこない。
仕込みを見ているだけに気まずい。

「今日はみんな遅いなあ」
「客商売ですからね。こんな日もあります」

そんな時だった。
平蔵が遊ぶのをやめてぱっと奥に引っ込んでしまった。
久栄ものそのそと棚の上に登る。
辰蔵だけが扉の周りをうろうろしている。

「あのーすいません」

扉を開けたのは常連でも一見さんでもない。
女の子の子供だった。
近所の中学校のジャージを着ている。

「はい、いらっしゃいませ。どうしたのかな?」
海さんは優しく答える。

女の子はもじもじしながら
「あの、ここご飯食べられますか?」
「今できるものでよければ作れますよ。さあ座って」

「何かジュース飲む?名前なんていうの?」
モエちゃんは明るくニコニコしている。子供が好きなようだ。
しかしモエちゃんは結婚したらどうするんだ?
そういえば昔、夫婦の性が逆転している家庭が
子供を作ってなんて漫画があったなと思い出した。

「ウーロン茶ください。名前はみのりです」
ジャージのゼッケンに『野牛島』と書いてある。
これは「やごしま」と読むのだがY県以外の人だとわかるまい。

「近所なの?あまり見たことがないよね?」
モエちゃんがウーロン茶を出しながら聞いた。

「私、ずっと東京にいたから。ここに来たの最近で」
「なんでなんで?」
とずばずば質問攻めにするモエちゃんを
「はいはい、そこまで。みのりちゃんは嫌いなものある?」
と海さんは制止した。

「うんと・・・チャーハン苦手」
「どうして?」
「だってお母さんの作るチャーハンはべたべたして美味しくないんだもん」
「なるほどね。じゃあお姉さんの作るチャーハン食べてみる?」
ウインクしながら海さんは言った。
「お母さんでも美味しく作れるように教えてあげるからね」

カウンターの中にみのりも入った。
モエちゃんのエプロンを貸してもらったが少し大きい。

「いい?みのりちゃんがしっかり覚えて美味しいチャーハンお母さんに食べさせてあげよう!」
「できるかな?」
「大丈夫!誰でも名人になれちゃう魔法だよ」

あ、海さんの声ってかわいいんだな。
いつも落ち着いたトーンしか聞いたことなかったけど、
子供相手だとこんな声なんだ。
と、思った。

まずは材料は生鮭の切り身を焼いてほぐしたモノ、
刻んだネギ、そして手でちぎったレタス。これだけらしい。

ボウルを取り出してご飯を入れる。
「ここに1人前なら卵を2つ入れます。さあざっくりかき混ぜてみて」
おそるおそるかき混ぜるみのり。
全体に卵が絡めばいい。良く混ぜる必要はないらしい。

「フライパンを熱して油をあたためます」
みのりにお玉を持たせる。
「ここからはスピード勝負だよ!まずは鮭とネギを入れます」
鮭は火が通っているしネギもあっという間に暖かくなる
「ここでご飯をどかーん!」
みのりは手早くご飯をフライパンに開ける。

「焦がさないようにね。フライ返しとかしなくていいからお玉でかき混ぜるの。
ご飯はつぶさないでね。」
みのりはさっとお玉を使いかき混ぜていく。
なかなか手先が器用なようだ。

「卵が金色にご飯を包んだらレタスを入れるよ!混ぜるだけでいいからね」
ちぎったレタスを入れてかき混ぜる。
火はほとんど通さない。

「これで鮭レタスチャーハンのできあがり!」
フライパンで調理した時間は2分もないだろう。こんなに手早くできるものなのか。

「さあ食べてごらん?美味しくなかったらお姉ちゃん謝るから」
お皿に盛り付けたチャーハンはきらきらと輝いている。
高級中華料理のチャーハンもこんな感じだったなと思う。
それを中学生が簡単にあっけなく作れる魔法はたいしたものだ。

「いただきます」
みのりはスプーンで口に運んだ。

「おーいしー!なんでベタベタしてないの?」

海さんは魔法使いのように指をくるくるさせて
「ご飯と卵を混ぜることが大切なのよ。
お母さんはいつも時間をかけてかき混ぜていなかったかな?」
「うん、べちゃべちゃしてた」
また指をくるくるさせて
「お家のガスコンロだとそうなってしまうの。だからこの魔法をお母さんにおしえてあげてね」
「うん!」

みのりは大喜びで帰っていった。

~~~~~~~~~~~~~~~
猫達が戻ってきた。
猫は子供が苦手だ。
みのりが来たことを察知していたのだろう。

「海さん、すごいね。どこで料理覚えたんですか?」
ビールを飲みながら海さんに聞いてみた
「自己流です。私、子供の頃から料理が好きで。
祖母に習いながら、見よう見まねですよ」
「和洋中なんでもできるからすごいですよ」
「このお店は祖父母が死んだときに閉めるつもりだったのですが、
なんとなく続けてしまっています」

これ以上聞いてはいけないような気がした。

「チャーハン食べますか?」
フライパンを片手に海さんはほほえんだ。

「みのりちゃんは最近、両親の離婚でこの街に来たんです。お母さんと一緒にね。
街に詳しくないのでここにご飯食べにきたのでしょう。お母さん働いてらっしゃいますから」
「あれ?海さんなんでそんな詳しいの?」
「町内会でね、会長さんに聞いたんですよ。みんなで見守ってあげようって
対馬さんが欠席した時です」

しまった!忘れていたことすら忘れていた。
明日町内会長に謝りにいかねばなるまい。

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2015年8月 9日 (日)

海のない街~第四話~

今日は風が生ぬるい。
盆地特有のまとわりつくような湿気は慣れないものだ。

生まれ育った場所で人は変わる。

日本人は古来、太陽が神であり、陽が登っている昼間に行動し、
日が沈む夜の闇を恐怖した。
卑弥呼は皆既日食で力が衰えたと思い込んだ民衆に『王殺し』されたとも
言われる。

ところが熱砂の国では陽が照りつけ灼熱になる昼間を地獄と考える。
夜、星が出て心地よくなる闇を愛した。
死後の国は地下にあり涼しくすごしやすい楽園だと考えた。

じゃあここは?
山に囲まれ涼しそうなのに蒸し暑いこの街はなんだ。
夜になってもまったくべたつく空気だ。

早く楽になりたくて「あおい」のドアを開ける。

「いらっしゃいませ」
「はーい、対馬さん、ご来店ー」
「モエちゃん、キンキンに冷えたビールね。海さん、何かさっぱりするおつまみください」

席に座ると何やら山田さんと左右口さんと愛宕さんが楽しそうに話をしている。
平蔵と久栄はモエちゃんにもらったまたたびの原木を嬉しそうにかじっている。
辰蔵はおもちゃでお客さんに遊んでもらっている。

「ねえ聞いた?」
「テレビのお見合い番組の収録やってるんでしょ?」
「そうそう、それでね、知ってる人も出てるらしいのよ~、ここで見たことあるんだけど、
誰だったかしらね~」

「それ池田さんですよ、きっと」モエちゃんがおかわりの焼酎緑茶割りを愛宕さんに
出しながら話に混ざった。
「私が収録の現場に通りかかったときに見たんですよ。」
「だあれ?池田さんって?」

海さんがさっと茄子の煮浸しを出してきた。
水、醤油、出汁、砂糖、鷹の爪を入れた鍋に
皮を焦がすまで焼いて剥いた茄子をいれ煮込み冷蔵庫で冷やしたものだ。

ひと段落した海さんが話しかけてきた。
「池田さんはウチが野菜仕入れてる農家さんなんですよ」
「ははぁ、なるほど。で、お見合い番組って、あのお嫁さん探しするやつでしょ?」
「そうです。それにどうやら池田さんが出演したらしいんですが、お嫁さんが見つかったかどうか・・・・」
「それいつわかるんですか?」
「オンエアはまだまだ先でしょうけど、告白タイムは今日みたいですよ」

ひとしきり3人で盛りあがった常連奥様達が帰るのと入れ替わりに
かわいいどこかで見たことのある女性と80年代のトレンディドラマに出てきそうな
サマーセーターを背中にかけて胸で袖を結んだ男が入ってきた。

「恵美ちゃーん、困るわけよ、マジもんでさー」
「なんで?私はあの人が好きになったんだからいいじゃん!」
「いや、でもさ、一応君みたいなアイドルが参加して、悩んだ末にフラれる人間ドラマつう脚本なんだからさ」

二人でひそひそと、やりあっている。

「あのーご注文は・・・・?」
モエちゃんが困りながらも声をかけると

「あールービーね。チンカチンカに冷えてるの。恵美ちゃんは?」
「私はカクテルがいいなー」
「あ、すみません、うちカクテルないんですよ」
「何か甘いのがいいんだけど?」
困ったモエちゃんは振り返って
「海さーん、甘いお酒何かある?」

海さんは冷蔵庫をのぞくと
「下町ハイボールならできます。ブドウのシロップを多めに入れておつくりいたします」
と答えた。
「じゃあ、それで」
女性は長い髪に手を通しながら言った。

カウンターに走りこんできたモエちゃんは
「ねぇねぇ、あの女の人、グラビアアイドルの鮎沢恵美ちゃんじゃん!?」
海さんは洗い物をしながら
「お客様を詮索しないの」とモエちゃんをしかる。

「なんでOKしたのにNGで告白2回もさせるわけ?しかもごめんなさいって相手にも悪いでしょうが!?」
綺麗なその『恵美』ちゃんはイライラしながら酒を煽る。
男はあたふたしながら
「そんな大声出しちゃダメでしょ?誰が聞いてるかわからないから!マジもんで」

「私はねー、今回の話、最初は台本どおりやろうとしたよ?でも相手の素人さんは台本の存在しらないじゃん?
女性に何人かタレントやモデル混ぜて男性を釣るってのが許せないよ。おかわり!」
グラスを高く上げてカウンターへおかわりをアピールする。
ペースが速い。

「そんなもんよ、テレビなんて。恵美ちゃんが一番良く知ってるじゃん?
マジもんで、視聴率取れるからさ」
「んな、関係ねぇーつう」

にゃー
ドアが開いた。
平蔵も久栄も辰蔵もみな入ってきた客へ駆け寄る。
誰だかわかっているようだ。

「あ、い、池田さん、いらっしゃい」
モエちゃんがおどおどしている。
まさに鉢合わせである。

「あ!」

恵美は池田を指差した。

「あ!」
池田は恵美を指差した。

「さっきの!」
「さっきの!」

プロデューサーらしき男は真っ青になっていた
「いや、これ撮影してたら面白かったのに!マジもんで・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「まあ、ここ座って」
ぽんぽんと隣りの椅子を叩く恵美。
「いや、そんな、いいです・・・・」
池田はカウンターへ座ろうとする。

「いーから!ほら!」
恵美は強引に腕を引っ張り池田を自分の隣へ座らせた。

「で?」
恵美は下町ハイボールを飲みながら池田を見つめる。
「私、あなたの事が好きになっちゃったのね。でもこのクソ野郎がダメだってさ。
台本と違うから面白くないんだって。それでああなっちゃったのね」
「恵美ちゃーん、そういうの本当にやめよ、マジもんで。池田さん、どうか今日の事は忘れてください、
あのこれ少ないですけれど・・・・」
男は財布からかなりの金額を取り出し池田に渡そうとした。

恵美はその金を握り締めた手を抑えて
「てめぇは黙ってろ。キンタマカチ割るぞ?ああ!?」
すごんだ。
グラビアでははじけそうな笑顔が今や恐怖の女王だ。

「池田さん、あなたはこのお金、欲しいの?」
恵美は問う。

「俺は田舎モノだし、恵美ちゃんみたいな子とは釣りあわないから・・・・」

バン!!!!!

「私が好きだ!つってんだろーが!?
あんたも好きなんだろ!?私は水着着て写真撮られてるより畑耕してるほうが好きなんだよ!
イメージつうもんがあるからいえなかったけどさ!
車だってヘンテコな外車とか本当は嫌いなんだよ!軽トラのほうがカッコいいじゃん!
つーか、私じゃ不足!?好きな人に好きって言って何が悪い!」
テーブルに思いっきり両手を叩きつけて恵美は立ちあがり、一気にまくしたてた。

そして・・・・・

池田をの頬を強引につかむと熱くキスをした。
それは長くて濃厚で、見てるこっちが恥ずかしいキスだった。

「いや~マジもんでしちゃってるよ・・・・」
男は呆然としている。

「すごいね~海さん!まだチューしてる!私もちゅーしたいなぁ」
「誰とだよ」
「対馬さんでもいーよ」
「ばか」

海さんは黙っている。

長いキスが終わり真っ赤になりながら
「好きなんです。付き合ってください。お嫁さん前提で」
恵美が静かに言った。
「は、はい」
まだ心ここにあらずだが池田も答えた。

海さん、今日は料理とかないの?
僕は思った。
ここで一言!という感じもしない。

恵美と池田が腕を組みながら帰っていくときに
「池田さん、明日トマトお願いしますね。忘れないでください」
と声をかけながらレシートを渡した。

「海さん今日は静かだったね」
と何気なく聞いてみた。

「人の色恋に口を出すのは野暮ってものです。
それに・・・・」

海さんは洗い物が終わり蛇口を閉めてこういった。

「きらびやかな世界にいる人が土にまみれても好きな人と生きたいと言っているのです。
それが全てではありませんか」

「海さんはどうなの?」
ニヤニヤしながらモエちゃんが聞いてきた。

「恋愛はわかりません」

ビールがぬるくなってしまっていた。
2人の熱にあてられたからだろう。
外はまだまだ暑い。

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2015年8月 7日 (金)

海のない街~第三話~

そろそろ夏になる。
今日は親から引き継いだアパートに新しい入居者がいたので
鍵を渡したり、ガスや水道、ゴミ捨ての説明をした。
仕事でこの街に配属になった男性であった。

今日は僕の他には二人連れがいるだけで
静かだった。
モエちゃんもあまりに暇で三匹にカリカリをあげている。
涼やかな海さんの顔。
注文もひと段落したので明日の仕込みをしている。

冷たいビールを飲み干し喉を潤しても
「気にかかる・・・・」のである。

自分のように目標もなく日々を消費している人間は
果たして『正常』なのか?と。
その疑問が心の中に生まれ、そして考え込むうちに
「正常とは何か」がわからなくなった。

金を持ち、結婚をして、老後を迎える。
これが正常なのだろうか?
必死で働きぬきその日を生き抜いてもなお這いつくばるように
生きねばならない命がこの国にある。

テレビもエアコンもこうして美味しい酒も飲める。
しかしこの国のどこかで餓死する老人がいる。
虐待を受けて何のために生をうけたのかわからないまま
殺される子供がいる。

生まれてくることそのものが何かの罰を受けているように思えてきた。
それらが頭をぐるぐると回り続け軽くめまいを覚えた。

「どうしましたか?今日は疲れていますね?」
海さんが声をかけてきた。

「いや、何だか禅問答のようなことを考えてしまいまして」
昼間から考えていることを海さんに話をした。
そういえばこうして長話をできるのは初めてだ。

「なるほど」
「どうですか?わかりますか?」
「さあ、どうでしょう、私は神でも仏でもないので。
しかし、それを知ったとしてどうしますか?対馬さんは
その答えを見つけたときに誰かに教えるのですか?
教えて何がありますか?
人の役に立ちたいから?それでは役に立ってどうなるのですか?」

僕は黙ってしまった。
海さんはふふふと笑って
「それが生きるということだと思います。答えが出るのはきっと命が消える瞬間でしょう。
でも死んだら人に教える事はできないですからね。知らなくて当たり前なのでしょう」

まるで偉いお坊さんと話をしているようだ。
そんな女性が夏が旬の鱸を捌いている。
鮮やかな手つきで包丁を操っている。

「さ、本当なら一日寝かせるのですが、少しだけどうぞ」
海さんが皿をことり、と置いた。

「これは今捌いていた鱸?」
「はい、皮目をバターでカリカリに焼きあげて、醤油とレモン汁のソースで仕上げました」

鱸はセイゴ、フッコ、スズキと名前の変わる出世魚だ。
臭さがある場合が多い魚なのだが
この料理方法ならそれも気にならない。
少し寝かせて旨みを出してから刺身にするのだが身がいかっているので
ソテーにしたのだろう。

「うん、おいしい!これに合うお酒は?」
「ありがちですが白ワインでしょうか?まるきワインさんのいろデラウエア白がちょうどあります」

甲州種100パーセントのワインは辛口ですっきりとしている。
果実のような香りで安心して飲める。

「その鱸は食べられるために生まれたわけではないでしょうね。
食物連鎖の中にいれば死は生と隣り合わせなのですよ。
命の積み重ねがまた新たな命を生むのですね」

にこっと海さんはほほえんでウインクした。
胸がどきどきする。
こんなにかわいらしい表情をする人なんだ。
思わず伝えてしまいそうになる。

「あ、あの・・・・」

「はい!いらっしゃいませー2名様ですか?」
モエちゃんがかわいい声で挨拶をする。
助かったのかもしれない。

入ってきた客は昼間の入居者だった。
「あれ?大家さん!さきほどはどうも・・・・」
「いえいえ。ここはいいお店です。ごゆっくり」

連れの女性はかなりの美人だ。

「さあ、どうぞ。ここは驕りです。やっと会えたんだから
仲良くやりましょう」
男性が明るく話しかけるも女性はどうも歯切れが悪い。
「はぁ」とか「ええ」しか答えが無い。

「今日のおススメはなんですか?あ、餃子があるじゃないですか?
これください。で、ビール、グラス2つで」
モエちゃんに素早く注文をしている
「どうしましたか?気分でも悪いんですか?」
男性が聞く。

もじもじしながら女性はうつむいている。
平蔵がにゃーと女性の足元にまとわりついている。
どうやら平蔵も気になる様子だ。

ビールが運ばれてきて乾杯も無言のまま女性は黙っている。
お通しのお新香にも手をつけない。
男性は色々と話をしているが女性はずっと聞いているだけだ。

モエちゃんがカウンターに戻ってきてひそひそと話す。

「あのお客さん、ネット恋愛してて今日始めて会ったらしいですよ」
「モエちゃん。盗み聞きはよくないわ」
「はーい」
海さんに怒られてしゅんとしている。
かわいい。
かわいいが男だ。

しかし男性があれだけ会えた喜びをあらわにしているのに、
女性はあまりによそよそしすぎる。
いくら初対面とはいえ、ネットで愛を深めたのだ。
それとも恥ずかしくて緊張しているのだろうか?

「モエちゃん、餃子上がったわよ」
海さんは熱々の餃子を皿に盛り付けた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「どうしました?餃子、好きって言ってましたよね?」
「・・・・」
「希望通りこの街に配属になってあなたに会えたんですよ。嬉しくてしょうがない」
「・・・・」
「あのー、何か俺悪いコトしましたかね?」

僕もモエちゃんも聞き耳を立てている。
僕は入居者のプライベートだから本当は聞かないのが筋だろう。
しかし、どうしても女性が気になる。
ネットで恋愛?
どうやって好きになるんだろう?
文章で?
伝わるのかな?

「どうかしましたか?何か悪いところあったら教えてください」
男性は女性に頭を上げた。

「あ、あの・・・あの、ダメなんです。私、外食が苦手で・・・」
やっと女性が口を開いた。
「え、あの、なんか恐怖症とかですか?」
「ちょっと違うんですけど、昔から人前でご飯を食べるのが苦手で・・・
学生の時もお弁当は隠れて食べていたんです・・・・」
「え?そ、そうだったんですか?それは悪いことを・・・・ここ、出ますか?」

男性が女性に聞いたそのとき、
女性の足元をぐるぐるしていた平蔵がついに膝に飛び乗った。
これでは動けない。

「お客様、グラタンはお好きですか?」
海さんがカウンターの中から声をかけた。

「え、はい・・・食べられます」
「では少々お待ちください。」

ほんのりといい香りがしてくる。
バターと玉ねぎの香り。
海さんは何かに気づいたのだ。
だからグラタンを作っている。
彼女はいつもすとんと『腑に落ちる』ことを言う。
川の流れのように実に自然にいつも微笑んでいるのである。
作った飾りの笑顔でも小難しい哲学でもない。
言っていることは深いのにとても簡単な言葉だけで彼女は表現してしまう。

「お待ちどう様でした。ホタテのコキーユになります。もしよろしければこちらの白ワインでお試しください」
「あ、このワイン・・・・」
「どうしました?」
「これ、ウチの近所のワイナリーさんなんです」

彼女はくいっとワインを流し込んだ。
さっきとは打って変わってとても自然である。
「コキーユ、美味しそう」
彼女はスプーンを手にして勢いよく食べだした。

彼女はとてもよく飲み朗らかに語り、笑った。
男性もとても幸せそうだった。

「じゃあ、そろそろ帰りますか」
「ちょっとトイレに」
「お会計済ませておきますよ」

レジの前に立ちお財布を出している男性に海さんはひそひそと何かを伝えた。
男性は大きくうなづいた。
そして海さんは食べなかった餃子を持ち帰りに包んで渡した。

辰蔵が久栄の尻尾を追いかけて遊んでいる。
平蔵は疲れたらしく椅子の上でうとうとしている。

「海さん、さっきなんて言ってたの?」
「ああ、レジでですか?」
「そう」

「彼女にお箸の持ち方を優しく教えてあげてくださいと言いました」
「お箸?」
「はい。彼女はテーブルに座って箸を嫌そうな顔で見ていました。
箸が上手に使えないのでしょう。
それがコンプレックスで人前で食べられなかったのでしょう。
たまに「親の教育がなっていないからだ!」なーんて否定する人もいますから」

よく見ているものだ。
彼女は何か超能力でも持っているのかもしれない。

「超能力持ってると思っているでしょう?対馬さん」
「えっ?いや、その・・・」
「私も箸の持ち方が下手でたくさん練習したんですよ」

同じ経験をしたからか。

「痛みをわかる人間は痛みを知っている人間だけです。
痛みを知らない人間がいくら親身に話しを聞いても何の解決にもなりません。
それを知らない人が多すぎます。」

珍しく海さんが眉をひそめた。

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2015年8月 5日 (水)

海のない街~第二話~

まだ梅雨の走りである。
朝晩は冷え込むのに昼間はまるで真夏のようになる。
じっとりとまとわりつく空気。
それはこの世で人間が生きるしがらみのようなものだ。

人間は山に篭り修行僧にでもならない限りは、
必ず誰かと交わる。
助け合わねば生きていけない。
親が、恋人が、親友が―――――
そして自分自身もまた誰かの助けになる。

自分が誰にも必要とされていないと感じた人間はとても寂しいものだ。
世を去るか、死人のように生きるか。
自分は何も選んではいない・・・・。

「・・・さん?対馬さん?」
モエちゃんが何度も呼んでいたらしい。
「えっ?何?ごめん、ぼーっとしてた」
「まったく、もう。瓶ビール空になってるけど、何か飲む?」
そこに平蔵が膝に乗って小さく鳴いた。
平蔵の頭を撫でながら、考える。
梅雨の時期は本当に難しい。

ビールを飲むには湿気が高い。
日本酒もいまいちな時がある。

「焼酎お湯割りでもらうよ。梅入れてね」
「はいっ、まいどー」
モエちゃんは元気がいい。

今日はカウンター、一番端っこ一席を残してみな席が埋まっている。
海さんは手際よく料理を作っていく。
慌てる様子がどこにもない。所作がなめらかで美しい。
こういう女性を「絹のような・・・・」というのだろうか?

その時扉が開いた。
猫じゃらしで遊んでもらっていた久栄と辰蔵が飛び起きた。

その男は少し肩が濡れていた。外は雨なのだろう。

「一人だけど」
「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ。」
海さんがカウンターの一番端っこへ促した。

山田さん、左右口さん、愛宕さん達が
「そ、そう!カラオケいかない?せっかくだから」
「い、いいわね」
「海ちゃんお勘定してね」
あたふたと帰り支度を始めた。
他の客も
「俺達もそろそろ・・・」とみな一斉に帰りだした。

僕は帰るタイミングを完全に逃した。
ついに客は僕とその男だけになった。

それはそうだ。みんな帰りたくなるだろう。
凄みのある顔つき、がっしりとした体、
梅雨の時期なのに長袖でである。
この風貌で勘違いするなというほうが難しい。

僕は緊張してしまった。
意識するなと考えれば考えるほどに横目で見てしまう。
鰯のから揚げも味がよくわからない。
梅雨の時期は入梅鰯などと言って、鰯に味が乗る季節である。実に悔しい。

「何にいたしましょうか?」
海さんはいつもどおり、ふんわり優しく聞いた。
男はおしぼりを受け取りながら
「生ビール。大ジョッキで。あと腹が減っているんだけど」
「今日は鰹がおすすめです。ご飯もお出しできますよ」
「じゃあ、まかせる」

モエちゃんが運んできた生ビールをガッと掴むと
一気に飲んでしまった。
「おかわりだ」

海さんは平然と料理を盛り付ける。
僕はだんだん怖さが増して完全に手が止まってしまった。
しかし今更
「帰るよ」
と言ったら最悪のタイミングだ。

「おまたせいたしました」
「ほう・・・・」

鰹の銀皮造りに出汁と醤油、柚子をかけまわし、
そこにネギをあしらった一皿。
そして中骨の辺りの肉をこそげ落とし甘辛ご飯とく炊き込んだ
鰹飯。

これはうまいに決まっている。

梅雨の時期の鰹は初鰹とはまた違った味で楽しめるのだ
「これには焼酎が合いますよ」
「このY県で焼酎?あるのか?」
「笹一酒造さんという酒蔵で木火土金水という焼酎があります。
なかなかいけますよ。鰹なら麦焼酎ロックでどうでしょう?」

海さんはふんわりと言った。

「姉さん・・・すまねぇ。俺のせいでみんな帰っちまった」
男は生ビールとは違いちびりちびりと焼酎を飲みながらぽつりと言った。

「お気になさらずに。」
「いやあ、世間ってのは見た目で判断するんだな。
俺はいつもいつも避けられるんだ」

くすっと海さんは笑った。
「人間は見た目の印象だけで強いとか弱いとか決め付けるものですよね。でも・・・」
海さんは指をさして
「猫達はちゃんと見抜いているようですよ?」
男の足元には久栄と辰蔵がいつのまにか座っていた。
辰蔵はおもちゃをくわえて遊んでほしいとせがんでいる。

「そうかぁ。お前らは嫌がらないのか、よしよし」
猫じゃらしを手にして男は二匹をじゃらし始めた。

「猫は人間が思っているよりも人間を観察しています。
近いような離れているようなあの距離感でじっと見ているのです。」
海さんは続ける。
「犬は人間に答えてくれる動物です。しかし猫は答えてくれません。
遊んで欲しいとき、寒いとき・・・なんでも自分の都合で動きます。」

「そうだな。猫はわがままだな」

「しかし猫が死んだとき・・・・犬の死はいつか乗り越えることができるのに、
猫は酷く空っぽになってしまったような感覚になります。
猫の死は新たな猫でしか癒せないのです。」

男の手が止まった。
「死んだときの話するなんて猫がかわいそうじゃないか。縁起でもない」

うふふ・・・・

「ほら。今お客様はかわいそうとおっしゃいました。それがあなたの見えない、
でも私達が見つけなければいけない、お客様の優しさなのですよ」

男は顔をしかめた
「なんだよ、不思議な姉ちゃんだ。」

海さんの顔を見て男は言った。
「しかし気に入ったぜ。料理もうまい。なんかここは落ち着く。
それに俺を見た目で判断しなかったのは姉ちゃんが始めてだ。ありがとう」

「さあ、鰹飯が冷めてしまいます。どうぞどうぞ」
海さんはまたふんわりとした笑顔を浮かべた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
男は食べ終わり
「また来るよ。今日は出張で来たんだが、こんな店に出会えるとは思ってもみなかった。
俺は発破屋でな。全国あちこち旅して歩いてる。だからいつ来れるかは約束できないんだが」

モエちゃんがお釣りを渡そうとすると
「とっときな。人は見た目じゃないってな。はあっはっは!」
と、モエちゃんのお尻をぽんと触った。
「やだ~もう」
モエちゃんは恥ずかしがってもじもじしている。

「あの、お客様!」
海さんが呼びかけた。
「ん?」
「人は見た目ではありません。そこでいい事を教えて差し上げます。
今、このお店の中には女性は私しかおりません」

僕も男も
「は?」

「だってモエちゃんは男の娘ですもの」

僕は盛大に焼酎を噴出してしまった。


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2015年8月 4日 (火)

海のない街~第一話~

海のない街ー

ここが僕の育った街だ。
見渡す限り山ばかりできらきら輝く水面は遠い。

風が吹く。
列車はトンネルを抜けてゆっくりと駅へすべりこんだ-

珍しく南峰山市に列車で出かけた。
今日は昔の知り合いが東京から帰ってきたので
久しぶりに酒を酌み交わした。
昼酒が染み渡り、ふらふらと良い気分だ。

改札を出て20分はあるだろう道のりを歩かなくてはならない。
しかも小高い丘の上のニュータウンなのでなかなかの運動になる。
夕闇が落ちている。

たくさんの灯火が見える。
この光の中に暖かなやり取りや優しいにおいが宿っているのだ。
自分の家は真っ暗。
このまま帰っても誰も出迎えてはくれない。

とぼとぼと坂道を登る。
中学生は部活帰りだろうか、駅に向かって走っていく。
はつらつとした彼らと何を目標に生きたらいいか迷っている自分。
その対比はとても悲しいものだ。

彼らはまるで水面のようなのだ。
石を投げ入れれば波紋を広げ波立つ。
たくさんの事に敏感に反応し、これからの未来へ向かう。
自分は枯れた川のようで石を投げ入れても
乾いた川底にどさっと落ちるだけだ。

このまま老いるのか?
しかし最近はそんな思考をちょっとだけ忘れさせてくれる場所を見つけたのだ。

長い坂を登りきったところにその場所はある。

「こんばんわ」
僕は古びたドアを開けた。

その空間は昔ながらの居酒屋とはちょっと違った雰囲気。
あめ色になった柱やよく手入れされた白壁、ギシギシと鳴る床板も年季が入っている。
4,5人座れば一杯になるカウンターとテーブル席が3つ。
本当にこじんまりとしたこの空間を取り仕切る柔らかな水面。

「いらっしゃいませ。あらもう少し酔ってますか?」
「ええ、友人と。海さん、いつもの」
「かしこまりました」

創作料理『あおい』
ここが僕のつまらなくて平坦な日常のささやかな清涼である。

静かな時間が流れる。
カチンと瓶ビールが軽くぶつかり合う音。
時計の針の音も、グラスを用意するカチャカチャとした音も
全てがゆっくりとしている。

まるで時間が止まっているようだ。

そう思うとやってくる。
あの3匹が。

喉をゴロゴロさせながらサバトラの猫が近づいてくる。
かなり大柄で筋肉質だ。

「よしよし・・・他の2匹はどうしたんだい?平蔵?」

この子は平蔵。
あの有名な火付け盗賊改方長谷川平蔵から取ったのだろう。

店の中を見渡すとクラシックな造りの棚の上に久栄がいた。
三毛猫でこの名前も長谷川平蔵の妻の名前だ。
名付け親はつくづく時代劇が好きなのだろう。
と、なるともう残り1匹は決まっている。

「にゃーお」
足にすりすりと顔をこすり付けてきたのが辰蔵だ。
チャシロの小柄な子だが常連客におもちゃでいつも遊んでもらっている。

木造の小さなこの店には3匹の猫がいるのだ。

天井を見るとどうだ。立派な梁である。
これほどの木は現在では貴重だろう。
どうやら蔵を改装したようだ。

「お待ちどうさまでした。いつものです」

ふわりと香り立つ微笑みの人、
蒼井海さんはとても柔らかなオーラを持っていて、正直に言えば、
好きだ。
彼女目当てで通っているのだ。

潤んだ大きな瞳に肩まで伸びたさらりとした髪、
柔らかな唇はぷるんと艶のあるピンク色。
清潔な白いシャツに黒いパンツルック、やはり黒のサロンエプロンで
陽だまりのような温かみ。
常連客と話をしている横顔を眺めながら酒を飲む。
いつか自分も常連となり、「いつもの」で通じるようになっていた。

「ただいま~」

裏口からスーパーのビニール袋を抱えた女の子が帰ってきた。
このお店で働いている子だ。
いつも海さんが「モエちゃん」と呼んでいるし、常連もそう呼んでいる。
ポニーテールを揺らしながら荷物をキッチンに降ろしている。

モエちゃんは切れ長の目が涼やかで幅の広いカチューシャがトレードマークだ
おっとりとした海さんと対照的に元気な笑顔でお店を盛り上げてくれる子だ。

「あ、対馬さん、また海さん目当てで来てるな~」
いたずらっぽい目でモエちゃんがずばり言い当てる。

「うるさいよ。ちょっと小腹が空いたから何か軽いモノが食べたいんだけど」
「じゃあ鯛のお頭入り湯豆腐の小鍋立てはどう?」
「それもらうよ」
「はい、まいど!」

実にいい。
はじめはグラスに勢いよく泡を立てる。
そこからゆっくりと注いでいく。
それを急ぐでもなく、のんびりでもなくちょうど良いペースで飲む。
お通しはほうれん草の胡麻よごし。
さっと茹でたほうれん草に黒胡麻と砂糖、それを酒と醤油で混ぜ合わせただけだが
この蒸す季節だ。実にいい。

さっきまでの嫌な思考が溶けていく。
親が残したアパートの管理だけで暇ではないが忙しくもない生活。
まぁこのご時勢恵まれているというべきなのだが同じ日々の繰り返しに
ついネガティヴになってしまうことがあるのだ。
どうしてもお気楽に考えられない。
趣味もないし、妻も子供もいない。
そんな生活に飽きていたところにこの店を見つけた。

見つけ板というより、今まであまりに見慣れた景色に溶け込みすぎていて
見逃していたのだ。
初めてのときもこんな疲れ果てた日だった。
嫌気がさしていた。そんな時、この店から漏れる明かりがとても優しくて
吸い込まれていた。

「お待ちどうさま、鯛のお頭入り湯豆腐です」
海さんが小さな鍋を目の前に置いた。

湯気が立つ。
あっさりとした出汁をたっぷりと張った中に炙った鯛の頭。
そして絹ごしの豆腐が今にもはじけそうな艶と張りでくらくらと煮えバナになっている。

「海さん、ありがとう」
小皿に豆腐を取りふうふうとほおばると鯛から出た旨みをたっぷりと吸って
うまい。湿度の高い梅雨の晴れ間に似合った味だった。

鯛の頭に取り掛かろうと箸を伸ばしたときに
モエちゃんが声を上げた。

「あれ?平蔵が入り口で鳴いてる?なんだろ?」
モエちゃんが扉を開けてみるとそこには倒れた老人がいた。
胸を押さえている。苦しいのだろうか?

「モエちゃん、お水を。私は救急車を呼びます」
「はい!」

震えるてを伸ばして老人はモエちゃんの腕をつかんだ。

「・・・いい」
「え?」
「救急車・・・・呼ばなくて・・・いい」

そう言って老人は気を失った。

「とにかく奥の休憩室へ。ソファーベッドに運びましょう」
海さんに言われ僕とモエちゃんが老人を運んだ。
モエちゃんは細いのに力持ちだな、と思った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「・・・う、うう・・・」
「気がつきましたか?」老人の顔を覗き込んで海さんが声をかける。
「あなた、どうしたの?このあたりじゃ見ない顔ね」
常連の山田さんが尋ねる。

老人はまだ苦しそうだったが少し口元を歪め笑いながら答えた。
「いやぁね、心臓の持病がね・・・・。もう長くはないんでね」
「それならなおさら救急車を・・・・」
山田さんと仲良しの左右口さんが海に電話を促した。
「いや、本当に、しばらく休んでいれば大丈夫なので・・・」
「ねぇ海ちゃんやっぱり救急車を・・・・」
やはり山田さんと左右口さんといつも一緒の愛宕さんが海さんへ声をかけようとすると
海さんは首を横に振った。

「おじいさん、救急車は呼びません。安心してください」
「なんで?どうしてだよ?万が一があったらどうす・・・」
みんなが一瞬止まった。僕がその時間を破った。しかし海は静かに、とても静かに
「おじいさん、私たちはお店に戻ります。具合が良くなったらお食事差し上げますので
起きてきてくださいね」

「さあ、みなさん戻りましょう」
海さんはみんなをせかした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「海ちゃん!どうしたのよ?だってあの人、この辺の人じゃないよ?」
「救急車と一緒に警察も呼ぼうよ」
「まさか徘徊とかじゃないの?」

すぅっと息を吸い込んで
「みなさん、落ち着いてください。」
「え・・あ、はい」

みんなそれ以上何もいえなくなってしまった。
いつもおっとりとやわらかい海さんがこんなに強く意思表示するとは思わなかったからだ。

「対馬さん、鍋温め直しましょう」海さんが鍋をコンロにかけた。
「じゃあ、温燗つけて」
「モエちゃん、温燗一本お願い」
「は~い」

老人は薄くなった白髪で
細い目の上に髪の毛とおそろいの白い垂れ眉。
少し骨ばった頬と深く刻まれたしわ。
体格は小柄だが肉付きのよい見た目は好々爺だ。

「海さん、どうしてあの人を・・・」
そうたずねようとしたところ老人が起きてきた。

「いや、どうも皆さん、ご迷惑をおかけいたしました。
お詫びに今夜はご馳走させてください」

みんなが口々に何かを言い出そうとするのをさえぎるように
「どうぞ、お座りください。何か飲みますか?」
海さんがカウンターの真ん中の席へ座らせた。

「いや、何・・・こんな体だが、酒は好きでしてね・・・・
そうさな、ここいらの地酒がいいな。冷でいいので」
「春鶯囀(しゅんのうてん)はいかがでしょう?純米大吟醸ですよ」
「ああ、それをいただきます」

モエちゃんが与謝野晶子直筆ラベル
『大吟醸春鶯囀乃かもさるる蔵』をコップへなみなみと注いだ。

老人は神様を拝むように手を合わせてからコップへ口を近づけて
酒を迎えに行った。

「ああ・・・うまい。ありがとうよ、お嬢さん。」
老人は店をきょろきょろ見渡した。
海さんにモエちゃん、常連客は僕を入れて4人。
「この街に娘がいると聞いたものですからね、訪ね歩いていたら倒れてしまって」

海さんはしっかりと老人の目を見つめて言った
「もう長くはないのですね・・・?」

老人はにっこりと微笑んで
「ええ、3ヶ月と言われました。ははは。」

ぐっと酒を飲みきり、もう一杯とモエちゃんにコップを見せて
「私は昔、酒で失敗をしてね。それで離婚して娘ともそれっきりだったんです」

モエちゃんが注いだ酒をまた大事そうにすすると
「自分勝手に生きてきたんです。しかし体は正直だ、もうじき死ぬんです。
しかし人間不思議なもんですね。死ぬのが怖くて怖くて仕方が無かったのに、
痛みと恐怖にずっと震えているわけじゃないんですなぁ。」

ちびりと酒を飲む。
いつしか陽も落ちて夕闇があたりを包んでいた。

「娘に会いたくなりましてね。ええ、こんなバカ親がどの面下げて
会うんだと思ったのですが、ちょっと顔を見るだけでもと思いました。
そう心に決めたら力が湧いてきて食事もうまいし歩けるようになった」

「あちこちに消息を尋ねて歩きました。過去の私を知っているから
親類はみな冷たい目で見てきました。自業自得です。
土下座して教えてくれるまで何日も座りこんでやっと情報をもらったりして・・・・」

コップの角度がきつくなる。
喉が鳴る。
「ここにたどり着いた」

「まだもうちょっと生きていないとなぁ」

時が止まっている。
この老人と僕たちは今間違いなく取り残されている。
思い出という美化された綺麗な落日に。
ここにくる道すがら見た若者達が流れている時間に僕は乗っていない。
この老人も。

それなのにこの老人は希望がある。寿命が尽きるのに。
それなのに僕はまるで死人だ。寿命だけあるただの生きる死人だ。

「これ、どうぞ」
海さんが老人の前に小皿を置いた。
「これは・・・?」老人が不思議そうな顔で海さんを見る。

「鯛の煮付けです。アラも混ぜて炊いてあります」
「ほほう・・・これはうまそうだ」
老人は箸をつけて身を口に運んだ。

「うまい。これは酒が進むね」
「鯛を酒とみりんと水で煮立たせて醤油を加えて煮汁が少なくなるまで煮込み、木の芽をあしらってみました」
「簡単なのにうまいね。なぜこれを私に?」

「鯛はおめでたい時に食べるものですから。娘さんに会う前祝です。
しかし、綺麗事だけではない、ここでは語りきれない色々なこともあったでしょう。
それで身だけではなくアラも一緒に。」

酒をぐいっと空けてから
「そうだね。色々あったね。話たらそれこそ一晩かかってしまうよ。
でもこれ以上飲んだらまた失敗してしまう。娘にはシラフで会わないとね」

老人は立ち上がった。
「これ、約束どおりみなさんの分も」
財布からありったけの1万円札を取り出してモエちゃんにポンと渡した。

「いや、こんなにもらえないですよ!」
慌てるモエちゃんに
「もらっておきましょう」
海さんは静かに言った。

「ごちそうさん」
立ち上がる老人に僕は尋ねた
「あ、あの、僕達もこの街の人間です。娘さんの事知っているかもしれない。
協力しますよ」

「お若いの。ありがとう。でもこのお店はどうやら夢を見ているような・・・
うまく言えんが死ぬ前の夢なんだよ。夢の中で行く先を聞いて目が覚めたら・・・・」

「でも」

「もし夢ならば覚めたら死んでしまうかもしれんよ。私は私の時間を生きるしかない」

老人は立ち上がって「ごちそうさん」と言うと扉を開けた。
その背中越しに

「今日のお代、娘さんとご来店の時の前払いでお預かりしているだけです。
必ず、会えますように」
海さんが言った。

手を振って老人は闇へ消えていった。

泊まるところはあるのか?とかそんなことを誰も言い出さなかった。
やはり時は止まっていたのだ。

自分は?
いったい何をすればいい?

考え込んだそのとき
「はい、みなさん、今日は看板です。モエちゃん、みなさんに締めのお茶漬けお出ししてあげて」
時間が動いた。

僕は海さんをさめた温燗を飲みながら見つめていた。

「なぜ、救急車を呼ばなかったんです?」
それとなく聞いてみた。

海さんはふふっと笑って
「あの人は死に行く人です。何かの縁で交わったのでしょう。
お金もあの人が気の済むようにしてくれればよかったし、私達にあの人を止める権利などないのですよ。
人は平等に生を受け不平等に逝きます。死すら平等ではない。あの人なりの死を見送るのが生き残る人間の
できる最大にして最小の事ですから。うふふ」

不思議な人だ。
不思議な空間。
お銚子が空く

猫がもう店じまいですよとあくびをした。


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